ソフトバンクの創業者、孫正義氏。
尊敬する経営者ランキングや
長者番付に必ずランクインする、
日本を代表する経営者の一人です。
実は、今私たちが高速かつ低価格で
インターネットを使えているのも、
孫さんのおかげです。
子どもの頃から、天才的なエピソードに
事欠かない孫さんですが、
差別や大病なども経験され、
決して順風満帆な人生ではありません。
何度も逆境を経験しながら、
どのようにして、成功を掴み取ってきたのでしょうか。
孫さんが歩んできた人生や名言から
仕事・人生に対する考え方、そして
成功の秘訣を探っていきたいと思います。
特に社会人、リーダー層の方には、
参考になる内容がたくさんあると思いますので
ぜひ最後までご覧ください。
目次
1.孫さんの歩んできた人生
まずは、孫さんのこれまでの人生を、年表形式で振り返っていきます。
詳しくご紹介したいエピソードも山のようにありますが、今回は3つに厳選し、1章の後半で触れていきます。
さて、年表に入る前に、
孫さんが19歳の時に立てた「人生の50年計画」をご紹介します。
- 20代 名乗りを上げる。
- 30代 軍資金を貯める。
- 40代 ひと勝負する。
- 50代 事業を完成させる。
- 60代 後継者に引き継ぐ。
これを踏まえて、次の年表をご覧いただくと、まさに、その通りになっていることに驚かされることと思います。
子供 | 出来ごと |
1957年 | ・在日韓国人実業家の父、孫三憲の二男として、佐賀県鳥栖市の朝鮮部落にて誕生。線路脇にあるバラック小屋で、豚や羊と一緒に暮らす、不衛生で貧しい環境だった。 |
幼稚園 | ・付近の子供から頭に石を投げられ、朝鮮人差別を受ける。 ・北九州市八幡西区に引っ越す。 |
小学校 | ・朝4時に起きて勉強したり、サッカー部に入った時は朝5時から練習をしたりと、熱中したことに、とことん打ち込んでいた。 |
中学校 | ・進学のため塾に通おうと門を叩くが、当時の成績から断られてしまう。しかし、その塾に通っていた友人の親に協力してもらい、入塾の許可を得る。(友人の親が塾の保護者会の委員で、塾長とも親しいことを知っていた) ・『竜馬がゆく』に感銘を受け、竜馬のように何かを成し遂げたいと志を抱く。 |
1973年 | ・久留米大学附設高等学校に入学。 ・高校の夏休みを利用して、祖母と韓国旅行(自分のルーツを見に行くため)と、語学研修のために米国カリフォルニア州に短期留学(4週間)。 ・語学留学から戻ってきて2ヶ月後には、高校を退学。本格的にアメリカで学ぶことを決意。 ・『ユダヤの商法』に出会い、藤田田に会いに行く。何度も断られるがめげずに交渉し、面会が実現。そこでこれから学ぶべきものは、コンピューター関連だと教えてもらう。 |
1974年 | ・父が吐血し、入院していたが、必ず日本に戻ると約束し、渡米。サンフランシスコの高等学校2学年に編入。 ・3年生、4年生へと飛び級。米国高校卒業検定試験に合格したため、3週間で退学。検定試験では、「日本語だったら試験は解ける」と主張し、辞書の使用と試験時間の延長を直談判。特例で認めてもらう。 |
1975年 | ・ホーリー・ネームズ大学に入学。 |
20代 | 名乗りを上げる |
1977年 | ・カリフォルニア大学バークレー校 経済学部の3学年に編入学。 |
1978年 | ・自動翻訳機を共同開発。(その分野のNo.1と、成功報酬でチームを組む。)日本で父・三憲氏とともにシャープに売却。 ・結婚する。自動翻訳機の開発に夢中になり、手続きの日に遅刻。2回目も遅刻し、さらに証人を依頼することも忘れ、手続きを行う裁判所の門番と受付の方に証人となってもらう。 |
1979年 | ・シャープに自動翻訳機を売り込んだ資金を元に、米国でソフトウェア卸会社の「Unison World」を設立。 ・日本でブームの去ったインベーダーゲーム機を米国で販売し、大成功。 |
1980年 | ・大学卒業後、日本に帰国。 ・コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を博多区雑餉隈で立ち上げる。従業員は2名。「豆腐のように1丁(兆)、2丁(兆)と数えられる会社にしていきたい」と、夢を語った翌日に2人とも来なくなる。 ・エレクトロニクスショー(展示会)に出展。ユニソン・ワールドの資本金1000万円のうち、800万円を出展費用に充てる。 |
1981年 | ・日本ソフトバンクを設立。 |
1982年 | ・パソコン関連雑誌の出版事業に参入。 |
1983年 | ・慢性肝炎で入院。会長職に。当時は治療法が確立しておらず、慢性肝炎にかかると、その後肝硬変、肝臓がんと悪化し、不治の病とされていた。 |
1984年 | ・退院。 |
1986年 | ・日本ソフトバンク社長に復帰。 ・京セラに電話回線選択式アダプターを売り込む。 |
30代 | 軍資金を貯める |
1990年 | ・日本に帰化。 ・ソフトバンク株式会社に社名変更。 |
1994年 | ・ソフトバンクの株式を店頭公開。 |
1995年 | ・アメリカのマイクロソフトと合弁で、ゲームバンクを設立。 |
1996年 | ・Yahoo!JAPAN設立。他の企業は長期的なプランで検討していたが、3ヶ月で日本法人を設立すると提案し、契約を勝ち取る。 |
40代 | ひと勝負する |
1998年 | ・ソフトバンクの株式を東証1部上場。 |
1999年 | ・証券市場「ナスダック・ジャパン」を創設。 ・出版事業をソフトバンク・パブリッシング株式会社として分社化。 |
2000年 | ・あおぞら銀行に資本参加。 ・アリババに20億出資。 |
2001年 | ・Yahoo!BBスタート。ブロードバンド事業に参入。途中NTTの妨害に会い、国会議事堂で灯油をかぶって死ぬと発言。 |
2004年 | ・日本テレコムを買収。固定通信事業に参入。 ・福岡ダイエーホークスを買収。 |
2005年 | ・アリババの取締役に。中国国内のインターネット事業について、提携。 |
2006年 | ・スティーブ・ジョブズに会い、iPhoneの独占販売に向けた準備を始める。 ・ボーダフォンを買収。携帯電話事業に参入。 |
50代 | 事業を完成させる |
2008年 | ・iPhone3G発売。発売当初は、ソフトバンクが独占販売。 ・アリババを合弁会社化。 |
2010年 | ・ソフトバンク新30年ビジョンを発表。 ・後継者育成のための、ソフトバンクアカデミアを開校。 ・「光の道」構想(全国に光ブロードバンド網を整備する)を提唱。 |
2011年 | ・東日本大震災の際、被災者への義援・支援金として、個人資産100億円を寄付。さらに、引退するまでの報酬も、震災孤児への支援として寄付することを発表。 ・自然エネルギー財団を設立。 |
2013年 | ・アメリカのスプリント社を買収。 ・ガンホー・オンライン・エンターテイメントを子会社化。 |
2014年 | ・人型ロボットの「Pepper」を発表。 |
2015年 | ・ソフトバンクモバイル会長職に。ソフトバンクBB、ソフトバンクテレコム、ワイモバイルの3社を吸収合併。ソフトバンクグループになる。 ・Yahoo!取締役に就任。 |
2016年 | ・イギリスの半導体メーカー、アーム社を買収。 |
60代 | 後継者に引き継ぐ |
2017年 | ・ソフトバンク・ビジョン・ファンド発足。 ・シェアオフィス事業を行うウィーワークへの出資。 |
2018年 | ・ソフトバンク取締役会長。 ・中国アーム社を合弁会社化。 |
2019年 | ・Zホールディングス発足。ZOZOを買収。LINEと経営統合。 |
2020年 | ・コロナ禍、マスク等を無利益にて提供。 ・70代でも経営に関わる可能性を示唆。 |
2021年 | ・ソフトバンク取締役。 ・純利益が日本企業最高となる4兆円を超える。 |
1-1.子どもの頃からビジネス思考力を磨いていた
父親の三憲氏は、なんとか家族を養おうと、さまざまなビジネスを行っていました。
特に、飲食店経営や消費者金融、パチンコ店経営などで成功を収められ、孫さんは子どもの頃から、父のビジネスを間近で見ることができていました。
三憲氏は、子供の孫さんを一人の人間として対等に扱い、ビジネスについて意見を求めることもあったようです。
例えば、立地が恵まれていない喫茶店の集客について、意見を求めると孫さんは、コーヒーの無料キャンペーンを実施してはどうかと提案しました。
実際に試してみると、結果は大成功。
満員になるだけでなく、来店したお客さんは軽食なども注文されたため、利益も確保できて、経営が軌道に乗って行きました。
また、15歳の時には自分の通塾の経験を元に、塾経営の構想も練り上げていました。
詳細な事業計画やカリキュラムを作成し、中学生の頃の担任だった先生に、塾経営の構想を伝え、社長になってもらえないかと依頼をしたそうです。
この構想は実現していませんが、15歳のときにすでに事業家としての思考・動き方をされていたことは驚きです。
1-2.1日1つ発明をする学生時代
アメリカで過ごした学生時代には、
1日5分だけ使って、1年間で1000万円を稼げるような発明をすることを、自分に課していました。
1日1つ、しかも5分で発明をするのは、かなり難しいことでしたが、発明の方法自体も開発し、実現しています。
その発明法とは、コンピューターで単語を自動的に組み合わせ、それが事業としての意義や、ニーズがあるかといった観点でアイディアに点数をつけ、取捨選択していくというもの。
この発明法から生まれた発明の一つが、音声つき自動翻訳機で、後にシャープに1億7000万で売却することになります。
孫さんは自動翻訳機を最短で開発するため、一流の研究者たちを巻き込んだチームを作ります。
資金も人脈も0でしたが、大学教授や研究者用の電話帳を集め、必要な分野に詳しい人物を探し、アポイントを取ります。
そこでコンセプトや販売計画、報酬について(成功報酬)を交渉し、説得してプロジェクトを進めたそうです。
1-3.iPhone独占販売の実現
スティーブ・ジョブズが、iPhoneの構想を持っていると知った孫さんは、絶対にソフトバンクでiPhoneを独占販売したいと考えました。
最初にiPhoneの構想を聞いた時には、まだ携帯電話事業を持っていない時でしたが、日本での販売は自分にやらせて欲しいと、ジョブズに伝えます。
そしてジョブズとの面会後、すぐにボーダフォンを買収し、携帯電話事業に参入。
ソフトバンクのロゴや店舗等も、白とシルバーを基調にしたデザインに変更します。
さらに、ソフトバンクの携帯を買うと、iPodがついてくるというキャンペーンも実施し、iPodの取り扱いも増やしていました。
こうした綿密な準備の結果、見事iPhoneの独占販売権を手にします。
勝負のときには、最終的な交渉の場だけを重視するのではなく、
必ず他社に勝てるように、事前に周到な準備をしてから臨んでいらっしゃいます。
2.孫さんの人生・仕事の考え方、名言を紹介
2章では、数々の功績を残している孫さんの、名言や考え方をご紹介します。
良いなと感じたものがあれば、ぜひあなたの仕事や人生にも、取り入れてみてください。
2-1.人生の考え方15選
- 自分の持った夢に自分の人生は比例する。
- 自分の人生の成り行きを、他人のせいにしてはならない。
- 現状維持は、相対的に退化。それは他の人類が進化し続けるから。
- やり抜くこと。それが成功への近道。
- 狂ったほどの努力がないと翼なんか生えてこない。
- 命がけで取り組めることがある人生は、幸せな人生だ。
- 成功する者と失敗する者の違いは、頭の差より性格の差の方が大きい。
- 激変する世界のなかで、成功を左右するのは、今、何を知っているかではない。
どれだけ早く学べるかである。 - 怒るのは自分の知恵の足りなさを認めるようなもの。
- 成功したければ運の良い人と付き合え。
- うまくいかなくても、やったことは全部将来の自分にプラスになる。
- 「仕方がない」とか「難しい」とかいう言葉を言えば言うほど、解決は遠ざかる。
- 迷ったときほど遠くを見よ。
- 1日に夜があり朝があるように、人生にもそれがある。
- もういいや、と思ったら成長が止まる。
2-2.仕事の考え方15選
- 仕事の悩みを解決するためには、もっと仕事をするしかない。
- 時代は追ってはならない。読んで仕掛けて待たねばならない。
- 背が低かったら高くなる靴を履け。何がなんでも目標を達成するのだ。
- 頭がちぎれるくらい考えろ。
- 10秒考えてわからないものは、それ以上考えても無駄だ。
- 遅すぎる決断というのは、決断をしないに等しい。
- 絶対に勝つのだ。「勝ちぐせ」をつけなくちゃいけない。一度勝ったら勝ちの味がわかる。
一度ナンバー1になると、ナンバー1でないと気持ちが悪くなる。 - 現状を悲観的に問題視して解決策を考え、未来を楽観的に夢抱き戦略を準備する。
成功の一つのアプローチ。 - ナンバーワンと組むことに成功すれば、黙っていてもうまくいく。
- リーダーシップの発揮に一番重要なのは、志・理念です。第二がビジョン、第三が戦略。
- 事業の成功は、精一杯チャレンジを続けていれば後は確率論の問題だ。
- やる以上は圧倒的ナンバーワンになること。
- 人が嫌がってしないビジネスをやれ。
- 「なぜできないか」を言う者は、リーダーになってはならない。
- ビジネスプランは1000通り作ってからこい。
番外編
孫さんは、ユーモアのセンスも非常に高く、会議でも必ずオチを入れて笑いをとるそうです。
そんな孫さんのユーモア溢れる名言もご紹介します。
- 髪の毛が後退しているのではない、私が前進しているのである。
- 645円、大化の改新か。(リーマンショックで株価下落の報告を受けた会議にて)
3.孫さんに学ぶ成功の秘訣
孫さんのこれまでの人生や名言から読み解くと、成功の秘訣は次の3つにあると考えられます。
3-1.高い志を持つこと
孫さんは子供の頃から高い志、言い換えれば人生のビジョンやミッションを持ち、その実現に向けて行動されています。
孫さんが志を持つようになったのは、差別で悩んでいた中学生の頃に『竜馬がゆく』を読んだときのこと。
差別で悩んでいるのはもったいない、竜馬のように志をもった人生をいきたいと、考えるようになります。
ソフトバンクを立ち上げてからは、「300年続く企業を作る」「情報革命で人々を幸せにしたい」という志・理念を掲げています。
その実現に向けてさまざまなビジネスを展開し、判断に迷いが生じた時は、孫さんだけでなく、共に仕事をしている方々も、この理念をもとに判断しているそうです。
3-2.長期的な視点を持つこと
先ほどもご紹介しましたが、孫さんは19歳の時に自分の人生について、50年計画を立てています。
この50年計画をもとに、毎年、年度計画をたて、それを印刷したものを常に持ち歩き、確認をしているそうです。
50年計画をベースにして、今日何をすべきかを常に考えているため、ブレることなく、目標達成につながる行動を取れるということです。
また、「迷った時ほど遠くを見よ」「大きな絵を描けない者は、小さな絵も歪む」とも仰っています。
これは長期的なビジョンがないと、短期的なアップダウンに左右されて迷ってしまったり、具体的な戦略・戦術も描けないということです。
3-3.高いセルフイメージを持つこと
セルフイメージとは、自分に対するイメージ・思い込みのことで、言い換えるなら、自分に対して自信を持っているかということ。
セルフイメージの状態は、仕事の成果や年収、人間関係、地位・ポジションといった人生のあらゆる結果に影響します。
成功者の多くは、驚くほどセルフイメージが高く、孫さんも、セルフイメージ・自己肯定感が非常に高いと予想できます。
孫さんは子供の頃、親から「お前は天才だ」と言われて育ったそうです。
それも単に言葉で言われるだけではなく、抱き上げたり、もみくちゃにするような、熱烈な褒め方でした。
さらに、子どもの頃に父親に提案した、集客のアイディアが上手くいったという成功体験も積まれています。
幼少期のこうした経験は、セルフイメージや自己肯定感を高めやすいと言われています。
自信を持って、さまざまなビジネスに挑戦できているのは、高いセルフイメージを持っていらっしゃることも、一つの要因だと考えられます。
まとめ
孫さんの人生や名言から、成功の秘訣を探ってきました。
あなたの仕事や人生のヒントになる内容があれば幸いです。
当メディアサイトLife&Mind⁺を運営しているNLP-JAPAN ラーニング・センターは、心理学NLPを学ぶことができるスクール運営も行っています。
心理学NLPは、別名「脳と心の取扱説明書」「天才たちの心理学」とも呼ばれている実践心理学。
- セルフイメージ、自己肯定感を高めること
- 目標達成、問題解決の能力を高めること
- 人生のビジョン、ミッションを明確にすること
- コミュニケーション能力を飛躍させること
- 心の傷やマイナス面を解消すること
など、人生をより良くするために必要なことを、バランスよく学べます。
NLPを学ぶことで、孫さんのように、親から「天才だ」と言われて育っていなかったとしても、
自分のセルフイメージ・自己肯定感を高めることや、志・理念(人生のビジョン・ミッション)を明確にすることが、誰でも可能になります。
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(参照元)
- 井上 篤夫『志高く 孫正義正伝 決定版』実業之日本社
- 佐野 眞一『あんぽん 孫正義伝』小学館
- 三木 雄信『孫正義名語録 事を成すためのリーダーの心得』SBクリエイティブ
- 三木 雄信『孫正義 「リスク」を「成功」に変える28のルール』KADOKAWA
- 嶋 聡『最強経営者の思考法――松下幸之助と孫正義から直接学んだ実践リーダー学』飛鳥新社