人生や仕事で価値ある目標を本気で達成する大人の塾「足達塾」。
その塾長であり、実践心理学NLP(神経言語プログラミング)のマスタートレーナーの
足達 大和(あしだち やまと)がお届けするメッセージ、その名も【魁‼足達塾 活字編】
今回は『「○○」がない人生は、幸せにならない!』というタイトルでお届けします。
黒と黄色の看板でお馴染み、学生や男性が好む
味とボリュームが売りな「ラーメン二郎」。
先日、中3の次男が初めてそのラーメンを食べたときの話です。
私と次男は味覚だけではなく、
色々と感性が似ておりまして
以前から「お前が好きになる味だぞ」と
伝えていて、学校が早く終わり、
友達と一緒に食べにいったそうです。
食べた感想を聞くと
静かに目を閉じながら、
まるで登山家が頂点を極めたような、
何かを成し遂げた偉人のような雰囲気で、
「ロマンがつまってたね。」
と一言。
食レポのコメントとしては、
まだまだこれからな一言でしたが、
センスを感じる息子の言葉に、
ちょっとした喜びを感じました。
この次男の感性は、
オヤジである私を喜ばせてくれるもので
休日に夕食の準備をしていた時、
リビングにいた息子が、
「うわぁ〜、ボクは何て幸せ者なんだぁ〜!」
と、叫びました。
なにごとかと思い、
「どうした? 何が幸せなんだ?」と聞くと、
「あのさ、もう8時だと思ってたら、
まだ6時半で、
あと1時間半も遊べるんだよ!」と。
程度の差こそあれ、皆さんにも
こういった経験があると思いますが、
そのことをしっかり感じて言葉に出せる息子を
なかなかの人物だなと思っている足達(あしだち)です。
さて、幸せを感じて生きる、
ということについて少し書いておきたいと思います。
■幸せの土台は、感謝
幸せな人は、感謝の心がある人だと言われます。
あなたもどこかで聞いたことがあるかもしれませんね。
ある心理療法のアプローチでは、感謝の心が生まれてくると、うつやアレルギー、また肩こりや腰痛といった原因不明な症状も緩和され、改善される事例もあり、
またそういったマイナスな状態を解消するだけでなく、日々を優しく、満ち足りた気持ちで充実した日々を過ごすことができるとも言われています。
■幸せを感じたければ、「当たり前」を見直してみる
感謝の反対は「当たり前」、と言われます。
この当たり前は、普通ではなかなか気づけないものです。
例えば震災といった状況の中で、電気、水道、ガスといったライフラインが当たり前になっていると、失ったときにその大切さを知ります。
またコロナ渦で、マスクの在庫不足という経験をした私たちは、食料や生活用品が当たり前のように流通していたことに気づいていませんでした。
さらに広げて考えてみると、
人や物資を流通させる空路、海路、陸路と、いろんなものを運ぶ道の恩恵やそこを流れる飛行機や船や車など、それらを生産しサポートしていた国や企業の存在も見えてきます。
幸せな人は、こんなものの見方で、当たり前ではない何かを自覚しながら、生きているようです。
■幸せな人は、「有難い」を数えている
幸せな人は日常にある「有難いことを数える」と言われます。
先にご紹介したライフラインや、経済に関することもその一つですが、あなたの仕事や人生にかかわる人も、もちろんその一つです。
「有難い」というと言葉がカタく感じられる人もいると思いますので、
「誰かにしてもらったこと」と表現していきますね。
幸せな人は誰かに
【してもらったこと】
を数えます。
- 例えば、今日もお弁当を作ってくれた…
- 例えば、笑顔で会話をしてくれた…
- 例えば、自分の相談を聞いてくれた…
そんなことも含めて、有難いと感じます。
そこを見つける余裕というか、余白があるんでしょうね。
逆に不幸な人は
【してくれなかったこと】を数えると言います。
- あれをしてくれなかった…
- これをしてくれなかった…
- またやってくれなかった…
と「してくれないこと」だけを数えて、
時に怒り、時には落ち込み、孤独を感じていきます。
- 「そんなの当たり前」
- 「そんなの当然でしょ」
- 「そんなの常識だ」
と、ときどき私たちは思いますが、多くの場合、こういう言葉が使われているときは、その人の中には怒りや不安といった、望んでいない感情が生まれているときが多いようです。
例えば人に対して、
- 「なんでこんなこともできないのか。できて当たり前だろ!」
- 「なんでわかってくれないんだ。そんなの常識だろ!」
- 「何度言ったらわかるの、言ったとおりにやってよ!」
と、こんな感じで使われています。
私がお伝えしているNLP(神経言語プログラミング)では、具体的なスキルの他、「相手と自分は違う」という前提などを学ぶので、
「互いの違いは、互いの強み」と、
いい意味で自分の当たり前や常識を観察することができて、生きやすい、楽で質の高いコミュニケーションを進めることができます。
■「してくれたこと」に意識を向ける
これまでのお話をまとめると、
「在るもの」を見て感じ取る人は幸せ
「無いもの」を見て嘆いている人は不幸
となるわけです。
「してくれたこと」とは、
- ○○さんに食事をおごってもらった
- ◇◇さんに新しい仕事を教えてもらえた
- ☆☆さんが差し入れをしてくれた
こういった特別なことでなくても大丈夫です。
「当たり前」を外してみると、いろんなことが見えてきます。
例えば挨拶。
職場で誰かが元気に明るく挨拶をしてくれたら、それは「してくれたこと」です。
「常識だから当たり前」、これをはずして観ます。
「会社の決まりだから当たり前」、こういったことも外して観ます。
謙虚に純粋にしてくれたことを数えます。
また家族においても当たり前を外して観ると、いろんな有難いこと、つまり「してくれたこと」がわかってきます。
あなたが仕事ができているのは、
家族が健康でいてくれているからです。
仮に病気のご家族がいる方も、それ以上症状が悪化したら、あなたに何かしらの影響が生まれることは想像できると思います。
仕事ができているというのは、家族が元気でいるから、と考えてみるわけです。
たとえばお母さんやお父さんという存在もそうで、あなたが気に入る気に入らないは置いてみると、いろんな「してくれてた」ことがそこにはあります。
■たとえば「両親」の見方を変えてみる
なかにはあなたが思うような、期待通りの母親ではなかったかもしれません。
また期待通りの父親ではなかったかもしれません。
ただその母親と呼んでいる女性も、
父親と呼んでいる男性も、
完璧ではないけど、
その時見えている選択肢で、
不器用かもしれないけど
精一杯生きているあなたと同じように
時には悩み、
時には傷ついていた一人の人間としてみたとき、
あなたにしてくれていたことはたくさんあると思います。
- シャンプーハットを買ってくれた
- 送り迎えをしてくれた
- 学習机を買ってくれた
- 試合や発表会に来てくれた
- スーパーの屋上やゲームセンターに連れて行ってくれた
といったことを数えると
たくさんの「してくれた」こと、
そして【してくれていた】ことに気づきます。
随分昔のことですが、幼い時の写真を見つけようと実家に帰った時のことです。
家族のアルバムを開くと、若い頃の母や幼い妹との写真はたくさんあるのですが、父親と一緒に映っている写真が一枚もありません。
よくよく考えるとわかるのですが、
父はその場にいなかったわけではなく、
私たち家族を撮ってくれていたので、
写真には写っていなかったわけです。
家族と一緒にいなかった父ではなく、母と私と妹と写っている場所には必ず父親がいて、写真には姿はなくても愛しい家族の記念を残すために、何枚も撮ってくれていた父の姿がそこにあったんですね。
父が【してくれていた】ことでした。
(写真は小1の時の私です)
そこにいないからという理由だけで、
何もしてくれていないわけではない
と、いうことです。
またこれは知人の話ですが、
小学校の授業参観での話です。
その友達は母子家庭でした。
経済的に裕福ではない家庭環境でしたが、お母さんはいわゆるお出かけ用の服ではなく、いつもの服装で化粧もせず教室に現れたそうです。
当時授業参観というのはちょっとしたイベントで、他のお母さんは少しいい服を着て、胸の左にはブローチといいますか、コサージュというのでしょうか、ぎゅっと握ると折れてしまうような、そんな飾りをつけて参観にくる時代でした。
友達は、他のお母さんと比べてみすぼらしい母をみて、悲しいというか、寂しいというか、せつない気持ちになったと打ち明けてくれました。
月日がたち、大人になって彼は当時のことをこう言っていました。
「あの時は嫌だったけど、化粧代や洋服代、
美容院に行って使うお金を、
私のために使ってくれていたんだよね」と。
- 化粧代は、書道セットや裁縫セットに
- 洋服代やコサージュは、修学旅行の積立てや部活の費用に
- 美容院にいくお金は、
お腹いっぱい食べさせようとしていた毎日の食費に
お母さんが変えていったわけです。
そういったことを友達は、優しい笑顔で語ってくれました。
【してくれていない】、
その背景をよくよく観察してみると、
たくさんの【してくれていた】ことがあります。
あなたの両親だけではなく、
おじいちゃんやおばあちゃんといった
あなたの人生や命にかかわる人たちの
こういうエピソードを数えてみると意外に多いことに気づきます。
さらに戦争やその先の先祖といった命のバトンを考えると、誰かの何かの土台に私たちは生きていると言えますね。
「自分は一人で生きてきた」
そう思う人もいるかもしれませんが、
そう思わせてくれる誰かの存在に
気づいていないだけかもしれません。
■立ち止まって、今の当たり前を見直してみる
つらつらと想いのまま書いていますが、ぜひこの機会に今の当たり前を見直すことをおススメします。
例えば、家の蛍光灯をご近所さんが取り換えてくれた時には、「ありがとうございます」と言えますが、一緒に住むパートナーが取り換える時は「ほこり落とさないでね!」と言ったりします。
またご近所さんがあなたの服や下着を洗濯してくれたら、「本当にありがとうございます」と言えますが、家族がやったら「これ生乾きよ!ちゃんとシワを伸ばして干してよ!」と(足達家だけかもしれませんが)、そんなことを言ったりします。
家族だから当たり前、
職場の人だから当たり前を外して、
あなたの心に余白をもち、
「してくれていること」に気づき、
幸せに気づくことを始めることです。
- 仕事のこと
- 家族がいること
- パートナーや友人
- 大自然
時代がシフトする中で、仕事があるということは、とてもありがたいことです。
あなたの励みになることでしょう。
自分だけの人生ではない、そう思わせてくれる大切な存在です。
悲しみを半分にし、喜びを倍にしてくれる存在と言われます。
あなたの人生に彩を与える人たちです。
空や海や山といった大自然はただそこにいるだけで、あなたを癒し、活力を与え、新たな息吹を私たちの人生に与えてくれます。
日本にいる方は四季も恵みの一つで、春夏秋冬とそれぞれの顔をみせ、季節ごとの豊かさを与えてくれています。
風のさわやかさ、日のぬくもり、
彩あふれる花や新緑や紅葉や月など。
■有難いことを見つけ、伝える
毎日でなくてもいいので、
週に一度ぐらいはあなたの時間を止めて、
「有難いこと」「してくれたこと」を
数えてみることをおススメします。
人はあなたが見てほしいように
あなたを見てくれる訳でありませんが、
あなたのことを見ていない訳ではありません。
人はあなたが聞いてほしいように
あなたの話を聞いてくれる訳ではありませんが
あなたの話を聞いていない訳ではありません。
人はあなたがして欲しいように
してくれる訳ではありませんが、
何とか力になりたいと思っていたりします。
当たり前を外して、
どんなことが起きているのか。
誰に何をしてもらっているのか。
してくれていたのか。
これをぜひ数えてみて、もしみつけたら、その想いを伝えてみてください。
感謝の気持ちを、心の奥から。
足達 大和の【魁足達塾‼ 活字編】
第一回「心の奥から」の記事はこちらです。
https://life-and-mind.com/fight-37443