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哲学者ニーチェはどんな人?生きづらさに苦しんだ人生と思想 

本名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ。

1844年、プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセン、
今で言うドイツで生まれました。

日本では思想家、哲学者として知られており、
著書はもちろん、名言集も出版されるほど人気があります。

ですが、実は精力的に執筆していた頃は、
出版した本は売れず、途中から自費出版だったそうです。

求婚するも断られ、45歳で発狂し精神を病み、
途中で本が売れ始めてもその状況を理解できず、
そのような状況のため最後の10年は執筆もできず、
55歳で生涯を閉じたのです。

なぜ、そのような最期を迎えたにも関わらず、
没後100年以上経った今も、
ニーチェの本は出版され続け、
その名言は人気があるのでしょうか。

その人生・思想・名言を探っていきたいと思います。

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1.ニーチェの歴史

ニーチェの誕生日は、当時のプロイセン国王、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世と同じだったため、父親はニーチェに、国王の名前をそのまま名付けました。

以下はニーチェの名前やご両親についてです。

名前Friedrich Wilhelm Nietzsche
(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
生年月日1844年10月15日
没年月日1900年8月25日
出生地プロイセン王国※領プロヴィンツ・ザクセン州
ライプツィヒ近くの小さな村レッツェン。
両親父親は牧師、母親は牧師の娘。

父親は1849年に36歳で他界、母親は1897年に71歳で他界。

※プロイセン王国は、現在のドイツ北部からポーランド西部にかけてを領土としていた。

ニーチェは、国王の名前を付けるほど、保守的な政治信条をもった、プロテスタント※の厳格な家庭に生まれました。

そしてニーチェの父親は、ニーチェが4歳のとき、怪我が原因で他界しています。

後にニーチェは、周囲の人から「天使様なんだろうね」と言われた父親を持てたことは、特権だったと、著書で父親を絶賛しています。

※プロテスタントは、キリスト教の一つ。
キリスト教の中で最大かつ最古の宗派であるカトリック教会から
宗教改革の時期に分離して成立した教派の総称です。

ここから、日本で言うところ神童であったニーチェが、中等教育以降、どのように過ごしたかについて記していきます。

ニーチェ
14歳

10歳から、ナウムブルクにある中等教育機関に相当するギムナジウム※に入学しましたが、14歳で転学。

勉強やスポーツの他、芸術や作曲にも長けていたことで、14歳からドイツ屈指、名門中の名門校プフォルタ学院※に特待生として転学したのです。

※ギムナジウムは、ドイツの教育段階を指します。
基礎学校(グルントシューレ)で6歳から10歳まで学び、
大学進学する人は11歳から小学校高学年と
中高一貫校を合わせたような、
中等教育に相当するギムナジウムに進みます。

ギムナジウムでの、教師たちの厳格な指導や学業の重圧、
同級生との熾烈な競争などは、
ヘルマン・ヘッセの著書「車輪の下」でもテーマとなっています。

※プフォルタ学院
古い修道院を利用した教室。
ギリシア語とラテン語を徹底的に叩き込む授業が実施されていた。
朝5時の起床から、夜の9時の就寝に至るまで、ぎっしりとカリキュラムが組まれていたとされる。

ニーチェは、牧師の家の子として生まれたこともあり、母親はニーチェにも牧師職に就くことを望みます。

そのため、ニーチェはボン大学(ドイツのエリート大学の一つ)「神学部」に登録しますが、フリードリヒ・リッチュルらが教える、「古典文献学」の授業に惹かれます。

そして21歳の頃、リッチュルがライプツィヒ大学に転出したのを受けて、ニーチェも、ライプツィヒ大学に移ってしまうのです。

(ここで、神学から離れたことで、ニーチェが牧師になることを願う母親と揉めたそうです)

「古典文献学」の師であるリッチュルは、ニーチェの才能に驚嘆し、学生のニーチェに論文の公刊を勧め、現に研究雑誌に掲載されました。

また、リッチュルがニーチェを、スイスのバーゼル大学(スイス最古の大学)の古典文献学の教授に推薦し、若干24歳の若さで教授に就任します。

(当時の大学教授は、社会的地位が非常に高い存在です)

ニーチェはこの際、プロイセンの市民権を放棄して、スイス国籍を取得しなかったため無国籍となります。

そうやって、せっかく大学教授になったのですが、古典に対し、独自の見解を発表したことに賛同を得られず、教授就任の約10年後には、心身の絶不調で退職に至ります。

このあと、ニーチェの思想や名言のご紹介に入る前に、ニーチェの内面がわかるような言葉を、自叙伝とされる著書「この人を見よ」から引用してご紹介します。

まずは、大学教授を辞めたときのことです。

(1879年36歳)

3歩先を見ることもできなかった。

バーゼル大学の教授を辞め、
影のようになって過ごした。

「さすらい人とその影」が生まれた。
次に「朝焼け(曙光:しょこう)」が生まれた。

絶え間ない頭痛、粘液の嘔吐に苦しむ中、
弁証家※として特別の明晰さを手に入れていた。

胃が痛くても器官の問題ではなく、
全身疲労の結果。

目の具合が悪くなって、
ときどき失明寸前にまでなるのだが、
それも疲労の結果。

結局、生命力の回復とともに視力も回復した。

※弁証家とは、キリスト教に対する批難に対して、弁論によって証明したり、是非や善悪を区別して証明した教父・学者のこと。

体が絶不調であっても、これは疲労の結果と捉え、絶望することなく、乗り切っているように読み取れます。

そして、ニーチェが4歳のときに他界してしまった父親については、このように記しています。

あのような父をもったことを、
私は大きな特権であると思っている。

というのも、私の父は2,3年
アルテンブルクの宮廷で暮らした後、
晩年は牧師だったのだが、
父の説教を聞いた農民たちは、

牧師さんみたいのが天使様なんだろうね、きっと、
と言われていたからだ。

このように、父親のことは絶賛している一方で、母親と妹に至っては、下司(ゲス)な連中とまで書かれています。

私にもっとも深く対立しているもの、
一掃することが不可能なほどの、
本能の下品さを探すなら、
そこにはいつも私の母と妹がいる。

こんな下司な連中と家族であると思うだけで、
私の神々しさが冒とくされるだろう。

他にも、現代ではまったく受け入れられそうもないほど、ドイツを見下した記載もあります。

ドイツ人を軽蔑することにかけては破格の存在だ
と思われることは、私の野心ですらある。

ドイツ人の性格に対する不信感は、
既に26歳のときに表明した。
ドイツ人は、私にとってはありえない存在なのだ。

私の本能にことごとく逆らうような
人間を思い描いてみると、
それはいつも決まってドイツ人になる。

これだけでなく、全編に渡ってドイツをさげすみ、

「ドイツ人のどんな言葉、どんな表情も不潔だが、
心理的な事柄に関して、本能になっている
そういう不潔さの近くにいると、
私は呼吸が苦しくなる。」

「私の知り合いの中で頓馬(とんま)といえば、
失礼ながら、ドイツ人ばかりだが、
こんな調子で言う。」

というような記載もあるほどです。

これらは差別的な表現のほんの一端で、
子どもを産めなくなった女性を
「出来そこないの女」と称するなど、
現代では考えられないような表現が多々あります。

もしかすると、発狂の前年に書かれた本ですので、
すでに精神を病んでいたのかもしれません。

いずれにせよ、どう考えても偏りがある人物のように見えますが、もちろん、これがニーチェのすべてではありません。

そして、こんなにひどいことも書いているのに、ニーチェは人気があるのです。

もしかすると思い当たる人がいるかも知れません。
嫌な部分があっても、傲慢な発言があっても、人間的な魅力が衰えることがない人を。

そして、現代では人気があるニーチェですが、
幸せな晩年・・・とは行かず、最期は発狂の10年後に肺炎で亡くなったのです。

1889年
45歳
1月3日、トリノの広場で発狂し入院。
1890年
46歳
母親の希望もあり、退院してナウムブルクの実家に戻る。
1895年
51歳
前年からほとんど外出できなくなり、麻痺症状があらわれる。
1900年
55歳
8月25日、肺炎により死去。故郷のレッツェンに埋葬。

なお発狂の際、病気の原因は梅毒で、脳梅毒による精神障害、歩行困難、全身麻痺が起きていたとも考えられています。

「発狂の直後、1889年1月18日
イェーナ大学附属病院の精神科に入院。
治療不可能と診断される。
所見によると病気の原因は梅毒。」

(参照元)この人を見よ(ニーチェ年表より) ニーチェ (著),丘沢 静也(翻訳),出版社:光文社

では、ここからは、
心身ともに苦しみ抜いたニーチェが提唱する思想をご紹介していきます。

恐らく、日本では「修行」の概念を理解している方が多いので、苦しみが深まることや、鍛錬でのみ到達する境地があることは、多くの方が賛同いただけるのではないでしょうか。

もしかすると、ニーチェの思想が人気を集めるのは、苦しみ抜いて生まれた思想だからなのかもしれません。

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2.ニーチェの思想

ニーチェの思想には、いくつかの重要な言葉や思想がありますので、ここからは、その代表的なものを5つご紹介していきます。

まずは、ニーチェといえばこちら、【神は死んだ】です。

(1)「神は死んだ」とは

キリスト教の神への信仰が、信じるに値しないものになったということ。

これまでの価値観が、

崩壊していることを伝えるための表現の一つ。

“「神」という
「最も聖なるものにして最も力強いもの」を、
あまりに卑小な「私達」が殺りくしてしまった。

神という目撃者の目を意識するたび、
自分の偽善、虚栄心、愚かさ、
すべてがチクチクと針のように指す。
そして、神を殺すことで、
その醜さは頂点に達したのである。”

参照元※1

このようにニーチェは、神は死んでおり(ちっぽけな私達が殺しており)、絶対的に信頼できるものは失われたと説きました。

そして、何を信じてよいかわからなくなってしまった状態が、次に記す「ニヒリズム」です。

【ニヒリズム】も、ニーチェの思想としては、絶対に押さえておきたい言葉です。

ニヒリズムは「至高の諸価値がその価値を剥奪されること」とされ、日本語では、虚無主義と訳されることが多いですが、より簡単な言葉での解説をご紹介します。

(2)ニヒリズムとは(ラテン語のニヒルを元にした造語)

哲学者で、東京医科大学教授の西氏は、
ニヒルは「無」の意味で、

ニヒリズムとは、「これが大事だ」
という信じられる価値を見失ってしまうこと

本当に大切な何かを全く信じられなくなった状態
虚無とは少し違うもの

と説明されています。

参照元※2、3

そして、ニーチェは、

「私はこれからの2世紀の歴史を描く。
ニヒリズムの到来は避けられない。
この未来はすでに百の兆候のうちにあらわれている」

(著書:力への意志)

と記しています。

この言葉は、19世紀末に書かれたもののため、「これからの2世紀」とは、現代である20世紀と21世紀のことを指しています。

確かに、「これが大事だ、という信じられる価値」が多様性を増し、「何を信じてよいかわからない時代」が到来しているように思えてきます。

そのような「何を信じてよいかわからない時代」において、「どのように生きるべきか」を説いていたニーチェは、現代を予言していたとも言われているのです。

そして、「どのように生きるべきか」の答えを理解するためには、【ルサンチマン】も押さえておきたい言葉です。

(3)ルサンチマンとは(フランス語)

怨恨(えんこん)感情。

自分の内側で反復する、恨みや妬みの感情。

例)

  • 「なんで自分はもっと容姿に恵まれなかったのか」

  • 「なんで、あのときに自分はあんなことをしてしまったのか」

  • 「もし違った環境ならば、自分はもっと幸せだったはずなのに」

このような、ルサンチマンの根本にあるのは、

  • 不条理感(納得できない!)
  • 無力感(どうすることも自分にはできない!)

という感情。

不条理感や無力感で苦しむ際に、
恨むことや、他者のせいにすることで、
微弱ながら自分を楽にする心理効果がある。

(こちらも先述の西氏の見解です)

参照元※2、3

ニーチェは、ルサンチマンにとらわれていると、自分自身を腐らせてしまうと説いています。

ただ、1章でご紹介したように、身体的な苦痛や家族についての否定的な言葉などから、ニーチェ本人がルサンチマンに苦しみ抜いて、このような思想が生まれていったものと考えられるでしょう。

そして、いかに力強く創造的に生きるか?と考えに考えて、後世に影響を及ぼす名言が生まれていたのでしょう。

では次に、「どのように生きるべきか」について、ニーチェは【超人(ちょうじん)】になるべきで、【末人(まつじん)】になってはいけないと説いています。

(4)超人・末人とは

【超人】

常に自分の中に新しい価値を発見し、それに向かって生きていこうとする人。

ルサンチマン(恨みや妬みの感情)にとらわれず、
絶えず創造して生きていく人、そのものとなりえた人間のこと。

【末人】

超人の対局の人。

無難なことや安楽のみを求め、冒険し高まろうとすることを欲しない人。
創造性を求めない人。

参照元※2、3

【末人についての補足】

「ニーチェをドイツ語で読む」の著者であり、京都大学教授の細見氏によれば、ドイツ語での意味合いや、「超人」の対局にあるものと考えると「最低人」という訳語を提案されています。

確かに、「超人」の対局が「最低人」というのは、「末人」に比べて大変わかりやすいと思いました。「末人」について、今ひとつしっくり来なかった方は、「最低人」として捉えてみてはいかがでしょうか。
参照元※1

最後に、「どのように生きるべきか」の最終的な答えとも言える、【永遠回帰】についてご紹介しましょう。

(5)永遠回帰とは

万物は同じプロセスを永遠に繰り返しているという思想。

人生はーつながりの輪のようなもの。

自分の人生をもう一回繰り返されるということの意味。

永遠回帰を欲していないならば、

(自分の人生をもう一回繰り返される
ということを欲求していないならば)

自分の人生を肯定できていないということ。

"ただの1回であっても、生きていて
ほんとうに良かったと思えることがあったら、
人生の全体を肯定し祝福し、
マイナスなことも引き連れて、

「この人生よ、何度でも戻ってこい」
ということができるだろう。"

参照元※2、3

ニーチェの人生には、辛いことが多々あったようにも見えますが、永遠回帰の思想を持てるような、永遠回帰を欲することができるような、喜ばしい経験があったことを示しているのでしょう。

さて次の章では、大人気!ニーチェの名言をご紹介していきます。

(参照元)

※1 ニーチェをドイツ語で読む 細見 和之(著,編集),出版社:白水社
※2 NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ 西 研(著),出版社:NHK出版 
※3 【西研】ニーチェとは。人間はどう自分の「生」を肯定できるのか。ルサンチマンやニヒリズムをいかに克服できるかを考える (You Tube動画)

3.ニーチェの名言

ここからは、近年も本が出るほど人気のある、ニーチェの名言をご紹介していきます。

何冊も本が出るほど、たくさんの名言がありますので、ここでは15個に厳選しました。

(1)

自分は大したことがない人間だなんて
思ってはならない。

それは、自分の行動や考え方を
がんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。

そうではなく、
最初に自分を尊敬することから始めよう。

まだ何もしていない自分を、
まだ実績のない自分を人間として尊敬するんだ。

(著書:力への意志 より)

(2)

一日をよいスタートで始めたいと思うなら、
目覚めたときに、この一日の間に
少なくとも一人の人に、
少なくとも一つの喜びを
与えてあげられないだろうかと思案することだ。

その喜びは、ささやかなものでもかまわない。
そうして、なんとかこの考えが実現するように努めて一日を送ることだ。

この習慣を多くの人が身につければ、
自分だけが得をしたいという祈りよりも、
ずっと早く世の中を変えていくことだろう。

(著書:人間的な、あまりに人間的な より)

(3)

すべて、初めは危険だ。
しかし、とにかく始めなければ始まらない。

(著書:人間的な、あまりに人間的な より)

(4)

今のこの人生を、
もう一度そっくりそのまま
繰り返してもかまわないという生き方をしてみよ。

(著書:ツァラトゥストラはかく語りき より)

(5)

自分自身と友人に対しては、いつも誠実であれ。
敵に対しては勇気を持て。
敗者に対しては、寛容さを持て。
その他あらゆる場合については、常に礼儀を保て。

(著書:曙光 より)

(6)

シャープでスマートだけではいけない。
鈍くさいところも必要だ。

切れるだけがカッコいいのではない。
切れるだけだと、いつまでも
「まだまだ若い」と言われて、
どこか軽く見られてしまう。
錆びも必要だ。

シャープでありながら
鈍くさいところもあることによって
愛嬌があるように見られて人に好かれるようになるし
誰かが手伝ってくれたり味方になる余地も出てくる。

そして、切れるだけのときよりも、
ずっと得をすることになる。

(著書:たわむれ、たばかり、意趣ばらし より)

(7)

きちんと考える人になりたいのであれば、
最低でも次の三条件が必要になる。

人づきあいをすること。
書物を読むこと。
情熱を持つこと。

これらのうちのどの一つを欠いても、
まともに考えることなどできないのだから。

(著書:漂泊者とその影 より)

(8)

仲の良かった友人を気にし、
いつまでも慣れ親しんだことを
くり返しているだけの友人と共に
そこに立ちどまっているならば、
誰かが君らの上をどしどしと歩いて高みへと向かう。

君と友人は誰かの階段になるだけだ。

踏まれるだけの階段のままで
生きていこうというのかね。

そもそも階段になるための夢を抱いていたのかね。

(著書:悦ばしき知識 より)

(9)

私には本を書くときの目標がある。

それは、私の著書を読んだ人が思わず
爪先で立たねばいられぬほど弾んだ気分になること。

(著書:生成の無垢 より)

(10)

公正であるということは、
何からも、そして誰からも、
一定の距離をとり、
それを維持し続けるということだ。

親しい人とも、好まぬ人とも。
愛した人とも。さらには自分自身とも。

人はそれを、
孤独者のスタンスと言うかも知れない。

(著書:生成の無垢 より)

(11)

何をするにしても、
全身全霊をこめてなすべきだ。

納得のできるいい結果を
生み出すためにではなく、
自分自身をないがしろにしないためだ。

全力で行わなかったり、
ところどころ手を抜いたり、
いいかげんに行って放置したりするのは、
結局のところ、自分の行為をバカにすることだ。

それでは、
自分のすることに価値も意味も持てなくなる。

それは、自分を緩慢(かんまん)に
殺していくことに等しい。

(著書:偶像の黄昏 より)

(12)

天賦の才能を持った人間は、
その天才だけでは鼻持ちならない人物にすぎない。

彼が自分の才能を惜しみなく発揮するためには、
あと二つのものを持ちあわせていなければならない。

その二つとは、
感謝する心と、人間としての純粋性である。

(著書:善悪の彼岸 より)

(13)

夜の闇があるからこそ、
光の熱とまばゆさがわかるのだ。

(著書:生成の無垢 より)

(14)

子どもにとって、遊びは仕事だ。
童話は真実そのものだ。

では、大人にとって
遊びは仕事ではないのだろうか。

童話は現実にはありえない
荒唐無稽な夢物語なのだろうか。

いや、そんなことはない。

大人もまた大人なりに、
仕事という遊びをしているし、
子供時代よりもずっと多くのこの世の物語の中に
真実を見つけ、そのために笑ったり泣いたりして、
生きているのではないか。

(著書:人間的な、あまりに人間的な より)

(15)

いつのまにか自分自身を、
形の決まった固い石のように思うのはよくない。

自分という個性がすでに出来上がっていて、
あとは外側に多少の変化があるくらいだと
思うならば、本当にそうなってしまう。

どんな歳になろうとも、
人間は限りなく変わることができる。

まるで粘土のようにいくらでも
望みの自分をつくっていくことができる。

自分自身が望むなら、
そうなりたいという意志を持つならば、
自分はいかようにも変貌し、
より高みに昇っていくことができるのだ。

(著書:生成の無垢 より)

(参照元)

超訳ニーチェの言葉 フリ-ドリヒ・ヴィルヘルム・ニ-チェ (著), 白取春彦 (編集), 白取 春彦 (翻訳)  出版社 ‏ : ‎ ディスカヴァー・トゥエンティワン
超訳ニーチェの言葉 II フリ-ドリヒ・ヴィルヘルム・ニ-チェ (著), 白取春彦 (編集), 白取 春彦 (翻訳) 出版社 ‏ : ‎ ディスカヴァー・トゥエンティワン

数々の名言、いかがでしょうか。

1章でご紹介したような、差別的な表現があった一方で、このように現代の人々の心を打つような名言を残しているのです。

家族をさげすんだり、自分が天才なんだと記したり、愛を語り名言を残したりと、振り幅が大きめのニーチェですが、人間らしいと言うか、紆余曲折を経て、この境地に到達されているのだろうとも思えてきます。

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4.ニーチェの著書について

最後に、ニーチェの著書についてご紹介しましょう。

ニーチェは、大学教授を辞めた後、精力的に執筆活動に励んでいました。

発狂する直前まで、以下のようにたくさんの書を残したのです。

1872年
28歳

『悲劇の誕生』を出版。

1873年
29歳

評論『反時代的考察 第1編〈ダーフィト・シュトラウス〉』を発表。

1874年
30歳

評論『反時代的考察 第2編〈生に対する歴史の利害について〉』、『反時代的考察 第3編〈教育者としてのショーペンハウアー〉』を発表。

1876年
32歳

評論『反時代的考察 第4編〈バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー〉』を発表。

1878年
34歳

『人間的な、あまりにも人間的な』を出版。

1879年
35歳

『さまざまな意見と箴言(しんげん:教訓・戒め)』を出版。

1880年
36歳

『漂泊者とその影』を出版。

1881年
37歳

『朝焼け(曙光)』を出版。

1882年
38歳

『愉しい学問』を出版。
『悦ばしき知識』第1部を発表。

1883年
39歳

『ツァラトゥストラはかく語りき』の第1部、第2部を出版。

1884年
40歳

『ツァラトゥストラはかく語りき』の第3部を出版。

1885年
41歳

『ツァラトゥストラはかく語りき』第4部を出版。
自費出版で40部。

1886年
42歳

『善悪の彼岸』を自費出版。1年で売れたのは100部ほど。

1887年
43歳

病気の発作が頻度を増し、長時間の執筆が困難になる中『道徳の系譜学』を出版。

1888年
44歳

『偶像の黄昏』脱稿(出版は1889年)
『ニーチェ対ワーグナー』、『ワーグナーの場合』、
『アンチクリスト』、『この人を見よ』を脱稿。

このように数々の本を執筆し、発狂後も妹らによって世に送り出されたのです。

以上、ニーチェの歴史や、特徴的な思想、名言や出版状況についてご紹介しました。

この記事が、あなたの人生に役立つ思想や名言と出会うきっかけになれば幸いです。

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